南天満山・宇喜多秀家陣跡

 
 

西軍の副総帥

杉の木立がうっそうとした南天満山の麓に天満神社があります。関ケ原合戦時には、この付近に兵約1万7千という西軍の主力部隊を布陣し、副総帥として参戦した宇喜多秀家。開戦の烽火と共に東軍・福島隊に攻め込まれた史実から、この辺りは大変に激しい戦いが繰り広げられた場所だと考えられます。秀家は、敗走し山中をさまよった後、揖斐でかくまわれ、密かに島津氏を頼って薩摩へ下り、死罪は免れましたが八丈島へ流され、余生を遠島で過ごすこととなりました。
 
 
 

「宇喜多」秀家?「浮田」秀家?

関ケ原合戦の後、死罪を免れるも、島へ流されることとなった宇喜多秀家は、親族10人余りの付き添いにより八丈島へ移り住むことになりました。その間に、本家(長男系)は「宇喜多」姓を引き継ぎ、分家(次男系)は「浮田」姓を名乗るようになりました。どちらの漢字が正しく使われるべきか論議になりますが、秀家については「宇喜多」であり「浮田」ではありません。過去の歴史書、標柱などで「浮田」と記したものを見かけますが、当時の宇喜多家の事情が正確に伝わらなかったことが考えられます。
 
 
 
エリア 今須(駅西)
住所 関ケ原町大字関ケ原4146-1
駐車場 なし
WC なし
アクセス R21松尾より北へ車で2分

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