徳川家康最後陣跡

 
 

家康、三成の喉元に食い付く

JR関ケ原駅からすぐそば、今は陣場野公園と呼ばれる緑豊かな場所に「徳川家康最後陣跡」はあります。関ケ原合戦当日午前11時ごろ、家康は苦戦に苛立ち、本陣を桃配山からまさに三成本陣の笹尾山のすぐ下(直線距離にて500~600m)へ移動させました。ここからの伝令により松尾山の小早川秀秋に発砲を命じ、見事裏切りへと仕向け、関ケ原合戦を勝利へと導いたのです。合戦後この場にて引見が行われ、討ち取ってきた敵の首級が実検されました。その後、幕府の命を受けた領主の竹中家により周囲の土塁や中央の土壇が築かれました。土壇中央には「床几場(しょうぎば)徳川家康進旗験馘處」と刻まれた標柱が建っています。
 
 
 

関ケ原合戦の夕暮れ…

夕刻から、家康の引見が始まりました。家康は真っ先に現れた黒田長政に慰労の言葉を惜しまず、腰の吉光の銘刀を与えました。島津隊を追撃した四男の松平忠吉と井伊直政が負傷して戻ってくると、まず我が子ではなく家臣をいたわる配慮を示したそうです。次に寝返った小早川が現れ「なんら遺恨なし」と言いながらも、ただちに三成の佐和山城攻めを命じました。この大勝利に家康は「この関ケ原には鶯のさえずりが満ちておるわ」と上機嫌だったと伝えられています。
 
久能山東照宮博物館蔵
久能山東照宮博物館蔵
エリア 駅周辺
住所 関ケ原町大字関ケ原959-2
駐車場 なし(近隣に歴史民俗資料館Pなどあり)
WC あり
アクセス JR関ケ原駅より徒歩10分

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