与市宮

 
 

関ケ原開拓の祖

JR関ケ原駅より国道21号線を垂井方面へ少し進むとガソリンスタンドが見えます。このガソリンスタンドの裏手に「与市宮(よいちのみや)」があります。関ケ原与市(本名:藤原基清)は平安時代の貴族で、用水の乏しかった関ケ原へ揖斐郡粕川上流から水を引こうと計画します。粕川は関ケ原からいくつかの山を越えた向こうにあり、工事は困難を極めました。権力者であった与市はこの地を通行する者は、何人といえども1日はこの工事に参加しなければ通さないようにし、使役したのです。この努力の結果が現在の関ケ原の基盤となっているといえるでしょう。子孫の方が作った与市宮は今も手入れが行き届き、関ケ原開拓の祖であるといわれる与市への尊敬がうかがえます。
 
 
 

与市を斬ったのは、牛若丸!?

与市はこの地方の代官も勤めており、京の都へも度々上っていました。承安4年(1174年)、京からの帰途、雨上がりに馬で進んでいたところ、たまたま道端にいた牛若丸の袴の裾に泥水がかかってしまい、大喧嘩となり切り殺されてしまいました。その後、家来が関ケ原まで与市の亡骸を運び、墓が設けられました。後年、牛若丸の母常盤御前もここ関ケ原で亡くなり、葬られているのは歴史の不思議さを感じる出来事です。
 
 
 
エリア 駅周辺
住所 関ケ原町大字関ケ原340-1
駐車場 なし
WC なし
アクセス JR関ケ原駅よりR21を東へ徒歩10分

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牛若丸使役代官常盤御前

 

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