玉の火薬庫跡

 
 

東洋一の火薬庫

関ケ原鍾乳洞から車で2、3分進むと玉の火薬庫跡があります。火薬庫の正式名称は「名古屋陸軍兵器補給廠関ケ原分廠」でした。明治末期から大正初期にかけて建設されました。関ケ原が選ばれた理由は、東海道本線に近く交通の便がよく、付近に民家もない。また、地形的に小高い山が点在し土塁の構築に適していたからだそうです。洞窟式火薬庫は小山を掘り、内部にコンクリートを流し、上部は山土で覆った後、植栽し山林のようにカムフラージュしたそうです。そのため、最後まで空爆を受けることなく残りました。終戦後、進駐軍は「玉の火薬庫」の存在に驚いたと伝えられています。
 
 
 

今も残る衛門や立哨台

「エコミュージアム関ケ原」そばの道沿いに古い石の門跡があります。これは火薬庫への入り口である衛門でした。重厚感のある門構えに陸軍の権力がうかがえます。火薬庫の周囲6kmには有刺鉄線が2重に張り巡らされていました。また入り口付近には立哨台があり、不審者が入り込まないようにここから軍人が目を光らせていたそうです。これらのエピソードもまた、忘れてはならない関ケ原の戦いの1つでしょう。
 
 
 
エリア 伊吹山(駅北)
住所 関ケ原町大字玉地内
駐車場 なし
WC なし
アクセス 関ケ原鍾乳洞より車で2分

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