弘文天皇御陵候神地・自害峯の三本杉

 
 

悲劇の皇子、ここに眠る

「不破関資料館」より徒歩で中山道を西へ約10分ほど進むと、小高い丘の中腹に「自害峰(じがいみね)」があります。壬申の乱にて大友皇子は、大海人皇子に追い詰められ、大津の長等山で自害しました。大海人皇子方の将、村国男依は、その首を持って大海人皇子本営の「不破の野上行宮」に凱旋したといわれています。大友皇子の御首は首実検の後、地元の人々が貰い受けこの丘に葬られたそうです。そのしるしにこの場所に三本杉を植え、ここを「自害峯」としました。その後、明治時代に宮内庁などが調査を行い「弘文天皇御陵候補地」と認定されました。杉の大木が立っている様は、実に荘厳な雰囲気です。
 
 
 

幻の天皇・弘文天皇

大友皇子には、弘文天皇の諡号が定められています。壬申の乱の時、官軍を率いた大友皇子が天皇であったかどうかは現在も不明です。『日本書紀』には、天智天皇が崩御された後、大友皇子が即位という記述はありません。しかし、その他の書物では数多く記されています。もし即位していたなら壬申の乱は、現職の天皇に対する反乱という日本史の中でも類を見ない出来事でした。
 
作:増田清一
作:増田清一
エリア 今須(駅西)
住所 関ケ原町大字藤下284-1
駐車場 なし
WC なし
アクセス R21沿い関ケ原町藤下付近、藤下バス停より南東へ徒歩2分

周辺地図


より大きな地図で 関ケ原観光Web を表示

 

関連キーワード

大海人皇子大友皇子首実検弘文天皇御陵諡号壬申の乱中山道日本書記不破関崩御

 

観光情報